いつもご夫婦で施術をお受けいただいている、奥様とお話をしていて思ったこと。ご主人が何かあるとすぐに病院に行くのだそうです。それ自体は悪いことではありませんが、要するに大したことが無くても(と仰っていました)先ずは病院。そこで何でもないですよ、と先生に言われることで安心するらしいのです。奥様はどちらかというと真逆の考え方をしていらして、自分の身体は自分に治す力があると思っていらっしゃるので、滅多なことが無ければ病院にお世話になることもあまりないのだそう。
そこの分岐点て人によって違うのかもしれませんが、その話を聞いていろいろ思ったことがありますので書いてみますね。
ちなみにこちらのご主人、エアコンの温度設定も室温計を見て30℃近いからエアコンつけよう、となるのだそう。食事も食事の時間だから食べましょうとなるそうです。もちろん多くの方がそうだと思います。が、奥様のお話から想像するに、もしかしたらご自分の感覚が希薄になっていらっしゃるのではないかなと思ったのでした。
1.ネタバレ注意⚠️PSYCHO-PASSに見る主体性
最近Amazonプライムで観ている『PSYCHO-PASS』というアニメにハマっています。第1期放送が2012年〜なのでもう10年以上前のアニメです。
ネタバレ含みますので、これから観ようと思ってる方は以降は観終わってからお読みくださいね。
ストーリー設定
舞台は、人間のあらゆる心理状態や性格傾向の計測を可能とし、それを数値化する機能を持つ「シビュラシステム」が導入された西暦2112年の日本。人々はこの値を通称「サイコパス(PSYCHO-PASS)」と呼び習わし、有害なストレスから解放された「理想的な人生」を送るため、その数値を指標として生きていた。
そのような管理社会においても発生する犯罪を抑圧するため、厚生省の内部部局の一つである警察組織「公安局」に属する刑事は、シビュラシステムと有機的に接続されている特殊拳銃「ドミネーター」を用いて、治安維持活動を行っていた。
本作品は、このような時代背景の中で働く厚生省公安局刑事課一係所属メンバーたちの活動と葛藤を描く。
第1期あらすじ
新任監視官として厚生省公安局刑事課一係に配属された常守朱。朱の部下となるのは、潜在犯であるが能力を買われ、ドミネーターを持ち捜査に関わることが許されている執行官の狡噛慎也、征陸智己、縢秀星、六合塚弥生の4人。朱は初日から失態とも取られかねない異例の対処をしてしまい、もう1人の監視官である宜野座伸元から厳しい言葉を受けながら、狡噛に励まされて成長を重ねていく。
シビュラの目を逃れて次々と起こる凄惨な事件を解決していく中、狡噛の過去が明かされる。3年前、当時は監視官だった狡噛は、当時の部下であった執行官の佐々山光留を、「標本事件」と呼ばれる事件捜査の際に殺害されていた。それ以来、捜査にのめり込んだために犯罪係数が上昇して執行官に降格してしまった現在でも、狡噛は唯一の手がかりである「マキシマ」なる人物を追い続けていた。
やがて、佐々山の殉職事件と酷似した女子高校生の猟奇殺人事件が起こる。これまで朱と捜査に当たった事件でも、狡噛は影で犯罪を支援する者の存在を感じ取っており、その人物が「マキシマ」ではないかと考えていた。そしてついに、数々の犯罪者を影で操っていた槙島聖護が朱の前に姿を現す。槙島は凶悪犯でありながらシビュラにその犯罪動向に見合った犯罪係数が計測されることのない、免罪体質と呼ばれる特異な体質を持っていた。朱は目の前で槙島に親友を殺害されながら、ドミネーターでは確保も射殺もできず、逃亡されてしまう。
(以上、wikipediaよりそれぞれ抜粋)
舞台は2112年。
第1期主人公の常守朱は、物語中盤で敵役の槙島聖護と対峙しますが、ドミネーター(相手に向けると犯罪係数が表示され100を超えると作動するシステムで、凶悪犯の場合は300以上を表示し確実に射殺することができる銃)で撃とうにも槙島は免罪体質(犯罪係数が100を超えません)のため作動しません。
そのため、朱の目の前で友人は槙島に殺害されてしまいます。
槙島は猟銃を朱に渡しそれで自分を撃つように言っていたのですが、朱はシビュラシステム(この時代の法とも言うべきもの)が例外と定める槙島を、法を犯してまで撃つことは出来なかったのです。
一方、物語の後半で同じく第1期の主人公である狡噛は執行菅の任務を放棄し、拳銃やナイフを用意して単身槙島を追い詰めます。ドミネーターでは槙島を裁けないため、所持を禁じられている拳銃での殺害を実行するためでした。
朱は法を守り、狡噛は自分の感情に正直に生きた。どちらも主体性を持ちながらの行動でした。そしてとても考えさせられました。現実世界ではどちらも大切なことでどちらかだけでは成り立たないもの。その塩梅がいい人が生き方上手なのかもしれませんね。
2.主体的であること
最初の話題に戻ります。暑いから冷房をつけるとかお腹が空いたから食事をするとか、いずれも自分の感覚に基づいた行動です。その感覚がいま、希薄化しているように思えることが時にございます。
もちろん全て自分の感覚で生きればいいと言っているわけではありません。そこには社会性や協調性が求められますし自分の感覚を抑えなくてはならない場面もあるかと思います。
しかし、丸投げのように見受けられることも多いのです。
世界的ベストセラー『7つの習慣』は、スティーブン・R・コヴィー博士によって書かれた書籍です。1989年初版発行。現在では全世界4000万部、日本国内でも240万部の売上げとなっています。その第1の習慣は「主体的である」というものです。
著者であるコヴィー博士は、主体的であるということを「人間として自分の人生に対して自ら選択し自ら責任をとるということ」と定義しています。主体性とは自ら選択して結果に対して自ら責任を取ることを指すのですね。
もちろん指標を外に求めるのが悪いわけではありません。しかし最終的には自らの選択と、それに対しての責任を取らなくてはなりません。そこに自分の感覚がまったく入っていないのって少し寂しい感じがしてしまうのですよね。
でも、です。実際は自分の感覚を優先している場面も多いと思います。賞味期限の切れたものをちょっと食べてみる。数字上はおすすめできないでしょうが(メーカーは厳し目に設定してる気がします)、うん、大丈夫!となって食べることありますよね?(え?僕だけですか?)
あるいは、天気予報では降水確率10%だったけど、なんか風が出てきたしちょっと雲が出てきた、これは雨が降るぞ。洗濯物とりこまなくちゃ!とか。
そういう感覚に他の部分でももう少し信頼してあげてもいいんじゃないかなって思うのです。
ではでは、どうしたら感覚を信頼できるのか。
これは僕自身の実体験ではありますが、他の方にも当てはまる再現性のあるものなのかはわかりません。でもなんとなく遠からずな気はしています。
僕の場合は身体を信頼できるようになったこと、これが大きいです。身体を信頼するとはどういうことなのか。それは身体は(良くも悪くも)変わるということです。
風邪をひくとします。一般的には病院に行ったりドラッグストアで風邪薬を買って飲んだりして風邪を治しますよね。でも僕は風邪がどう経過するかを観察します。そもそも風邪を悪いと思わないのです。この辺りは野口晴哉先生の『風邪の効用』という書籍をお読みいただけるといいかもしれません。
風邪を上手に経過させると身体は風邪をひく以前よりもずっと強くなります。
昨年、十数年ぶりの腰痛になりました。昔の僕でしたら知り合いの整体の先生の施術を受けていたと思いますが、この時もやはり経過を待ちました。この腰痛はいずれ必ず経過するという、根拠のない不思議な自信があったのですよね。そして結果その通りとなりました。
こうした小さな成功体験を重ねていくと、自分の身体への信頼度は上がります。そして自分で決めること責任を取ることが普通になってくるように思うのです。
繰り返しになりますが、これは病院に行くのが悪いということではありません。感覚を大切にし、感覚に基づき医療機関のお世話になることもあるでしょう。その最初の一歩である感覚を磨いていきたいですよねということなのです。
ということをここのところずっと考えていたのですが、なんと足整体 高坂(僕が元々やっていた埼玉県東松山市の整体院です)の矢島先生が奇しくも似たようなことをブログを書いていらしたので、こちらにリンクしておきますね。
よろしければこちらもお読みになってください。
主体的になるには自分を信頼できるように
自分を信頼できるようになるには身体が変わることを知ること
身体が変わるには、、、
自分で不調が改善できる機会を得ること
でも、なかなか不調の改善がない場合、生活を見直す必要があるかもしれません
身体は良くも悪くも変わるのですが、そのどちらに向かうのかは方向性があるのでただ待っているだけでは運任せになってしまいます。
正しい方向に向かうように当院ではそのサポートをさせていただいております。気になる方はどうぞご相談くださいませ。
~足よろこぶ整体院~ 足整体・町田
東京都町田市木曽東4-26-1 新興商事ビル101
営業時間9:30~18:30(当日最終受付17:00)
第2.4日曜日と毎週月曜日はおやすみです
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